再び移転(2009年5月1日)

 MTが使いにくかったのでまた移転しました。
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移転(2009年4月14日)

 移転しました。
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報告(2009年4月13日)

 近々移転します。

ル・クルーゼ(2008年12月13日)

 藤田晋と香田晋の違いが、なにかにつけて分からなくなる。妻がキッチンでお気に入りの黄色いル・クルーゼの鍋を使って少量のジャムを作っているときなんかは、特に微細な違いが分からなくなる。頭の中にある自分の記憶の、奥行きがぼやけるような感覚を常に味わっている。ここ数年自分の記憶に自身が持てなくなり、本を読むときなんかも何度も何度も同じところを読み返したりしている。「あなた、ずっと同じページを読んでいるけど大丈夫?」とドロドロに溶けたレモンの皮みたいな顔をした妻が本に視線を向けるグチャグチャに溶けたイチゴみたいな僕の顔を覗き込み、そんなことをぼそりと言うのもここ数年おなじみの光景だ。

 妻は、動くたびにいい香りがする。それは彼女の趣味がジャム作りだからというわけではなさそうで、彼女からふわりと漂う香りは僕の記憶と密接に関係しているのではないかと僕はしばしば考えていた。例えば彼女の首筋を舐めるとかして、直接香りを僕の体内に取り込むことで、僕の記憶の欠けた部分が埋まるのではないかと思ったのだ。記憶が入っている箱のふたを開けたとき、少し遅れて香りが僕の鼻を刺激するが、その遅れるスピードが長ければ長いほど僕は記憶がぼやけているのだと考えていた。ふたを開けてすぐに香りを得るには、僕は箱に頭を突っ込まなければならない。しかしそこまでして鮮明な記憶を手に入れたいかと言えば、正直言って疑問ではあった。しかし彼女の首筋をなめればと言う思い込みが激しくなるにつれて、本当にそうなんじゃないかと思い始めた僕は、タイミングを見計らい彼女の首筋にかぶりつこうと試みた。

 最初は文字通り妻に飛び掛った。まるで猫が一向にエサを与えようとしない主人に向かって飛びつき、催促するのと同じように。妻は突然抱きついてきた僕を突き放すことなく、ただありのままの僕を受け入れた。僕はこのパターンを想定していなかった。彼女は僕を突き放す予定だった。そして二度目のトライで僕は彼女の寝込みを襲うはずだった。彼女が薄紫の、最近通販で買ったばかりの下着だけを身にまとってベットに倒れこみ、一時間半もしたら恐る恐る近づき首筋をがぶりといただくはずだった。動物奇想天外のVTR並みに、自然の恐ろしさを実感していただくはずだった。しかし彼女はそんな僕をそのまま受け入れてしまったのだ。薄紫の下着の上に今年流行のチェック柄の入ったワンピースを着て、ライラックのギンガムチェックのエプロンを身につけて。

 僕は彼女の身体に身を任せたまま、ぼんやりと自分の記憶をたどり始めた。あの日、あの夏、あの海で、藤田晋と香田晋がクノールカップスープについて熱く語っていた記憶を。

スジャータ(2008年12月9日)

「それ以上スジャータの悪口を言わないで」彼女はそう言うと、おもむろに僕の頬を撫でた。頬を伝い、そのまま落ちていくだけの涙は彼女の柔らかな指先に拭い取られ、失いかけた居場所を取り戻した。僕は一体どんな表情を浮かべ、彼女と向き合ったらよいのか分からず、それでも下は向くまいと顔を覗き込んでくる彼女の目をじっと見つめていた。その表情はきっと、ユニクロへ買い物に行き、これといって欲しいものがなかったにも関わらず何も買わずに帰るのはどうだろうと思いつつ、とりあえず手に取った2枚で2990円のビジネス用のシャツをレジにもって行き財布の中を見たら3000円しか入っていなくて、うわーどうしようこれとか思いつつもにっこり笑顔で微笑む女性の店員さんがかわいくってついつい買っちゃったりなんかして、ありがとうございましたーの声を背中で受け止めつつ店を出てひんやりとした空気が肌に触れようやく頭が冷え、ああなんでこんなもの買ったんだろうなと手提げの袋を見つめているときの顔とそっくりだったに違いない。

無印良品ベストヒッツ(2008年11月23日)

 久しぶりの休日、無印良品の店内BGMを垂れ流しながら部屋の片づけを行っていたところ、ふと自分の今おかれている状況がとてつもなくいびつなものであることに気が付く。思えば昨日、仕事から帰って来てベランダに干してあった洗濯物と干し柿を取り込もうと窓を開けたところ突然、新アクセス独和辞典が僕の右頬を直撃したときから僕の日常は変わり始めていたのかもしれない。辞書はまるで星野のスローカーブのようにゆるやかな放物線を描いて、僕の視界の外から僕の日常へと入り込んできたのだ。これが日常を脅かす存在でないとしたら、一体なんだというのだろうか。僕には答えが見つけられなかった。

 ドラマチックな何かを捜し求めて僕はまた無印良品へやってきた。本来無機質というかモノトーンというか、そういったある種の定型句的なもので構成された変わらないものがここにある、そして変わらないあなたがここにいる、そんな毎日に私はぬくもりを感じるのといわんばかりの無印良品にドラマチックな何かがあるわけがないと僕は知っているのに無印良品にやってきてしまう。何度でも、また何度でも。でも変わらないあなたがここにいる。無印良品。

「お客様、他のお客様のご迷惑になりますので」抱きしめられた彼女が頬を染め上げて、小さな声を僕の耳元に添える。平日の夕方、誰もいない無印良品の店内で。すっと自然な動作でブラインドカーテンのサンプルを下ろし、5000円ほど値下げしたシングルベッドに二人で倒れこむ。日常の中に生まれた現実的でないこの状況が、どこか無機質で、モノトーンな感じがして。彼女の服装は上から下まで、身に着けている下着さえも無印良品だというのに、そのモノトーン加減とまったく異なった頬の赤らみが僕の心を掴んで話さない。昔、学生時代にTSUTAYAでレンタルした古い映画に出てきたヒロインが、確かこんな表情をしていたなとか僕は思いながら、彼女の口元に最中を運んでいく。ダメ、人が来ちゃう。彼女の小さなささやきが僕の耳元をしっとりと濡らす。彼女の頬の赤らみとはまた異なる、人間的な何かが僕の耳元にまとわりついて離れない。しっとりした何かは、この季節の必須アイテムである無印良品の保湿クリーム・敏感肌用ではないかと思いながら、僕は彼女の最中と自分の最中を重ね合わせる。

 事が一通り終わると彼女は洗いざらしのタブリエを素肌に身につけてベッドを降り、冷蔵庫から冷えていないミネラルウォーターを持ってくる。硬度1500のミネラルウォーター。

せめておしゃれして(2008年11月8日)

 なぜだか落ち着かない気分だったのはきっと、昨日の夜ぷっちんして食べるプリンを延々とこねくりまわしていたせいだろう。医者は僕に対して、「あなたは仕事のしすぎです。もう何日も眠れていないんでしょうそうでしょう。この粉をぺろりと舐めればぐっすりすやすや、それはもう羊が一匹とか二匹とか数える必要もなくグッナイできるでしょう」と言い、女の子がが初めて出来たカレと手をつなぐ時のように僕の右手をぎゅっと掴み、その白い粉を握らせた。

 思えば今日、医者のいる白い建物に来る前から僕は自身の右手に握らされた白い粉が日清製粉のものであることをどこかで勘付いていた。現に医者の横には、『日清強力粉』と書かれた紙袋が置いてあり、その袋にはふっくらと焼けたおいしそうなパンが描かれていた。僕が今右手に握っているのは強力粉だ。それはかつてないほどの自信に裏打ちされた、僕の現実だった。

 自分でもここのところ仕事をしすぎていると思っていた。元よりスタッフの少ない事務所では一人一人が自身の持てる能力以上を発揮しなければならないと思うが、それでもせいぜい持てる能力の1.5倍ほどを発揮できれば十分なはずであると僕は考えていた。今の事務所が抱えている仕事量から言ってもそれは確かなことであり、ここまで過剰に働く必要性は本来ならないはずだ。

 しかし現実は女性のスタッフが事務所から一歩も出ることが出来ず、シャワーはおろか着替えることもままならないという状態である。彼女はもう三日も着替えておらず、三日前に出社してきたときに身に付けていた白いワンピースは既に半年間諸国をヒッチハイクなどの手段を用いて渡り歩いてきたかのような、もともとの繊細さを欠くような色味に仕上がっていた。

 つい数時間前に僕がコンビニから帰ると、彼女は事務所の本棚に無造作に並べられていたデイリー六法を枕にして仮眠を取っていた。歴史を感じさせるワンピースとその愛くるしい寝顔とデイリー六法が非常にアンバランスな魅力を醸し出し、僕は思わず生唾を飲み込んだ。彼女は普段からノーメイクであったが、その顔立ちのよさはモデルに見間違われるほどである。しかし今の彼女の顔には先ほど糖分を取るために食べたであろうガーナチョコレートがべったりと付いており、既に女性であるかも怪しくなり始めていた。

 僕はそんなジェンダーアイデンティティーに暗雲立ち込める彼女を救おうと自分のデスクに向かい、机の上に放り投げられていた日清強力粉を手に取り、彼女の元へと向かった。そして僕は彼女の顔に強力粉を塗りたくった。まぶした、といったほうがよかったかもしれない。ファンデーションのつもりだった。